二日酔いと貧血と共に

キッチンドランカー東京OL(常に貧血)

じっちゃんとの思い出

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最近父から魚が届いた。職場の先輩にその魚の話をしたら、北海道の魚だったようで、「そんな魚あるのね」の一言で私は幼少から普段よく聞いていた魚の名前を振り返ってみた。コマイ・アブラコ・ソウハチ・マツカワ・ウグイ・チカ・ニジマス・ハタハタまあ他にも色々あるのだけれど。そこで思い出したのは祖父だった。私は祖父の事を「じっちゃん」と呼び、ほんとうに大好きだった。祖父は数年前亡くなったのだけれど、思い出は数え切れないほどあるの。真冬にソリに釣り道具を乗せて行ったワカサギ釣り、山菜採りやきのこ狩り時の山ではいつもツルでブランコを作ってくれたり、毒きのこを教えてくれたり、ニワトリ小屋でとりたての卵をくれたり、生まれたヒヨコをチュンコと名付けて可愛がったり、カナチョロを捕まえて尻尾が取れる事を教えてくれたり、川へ釣りに行ったり。東京へ来て、その全てが当たり前ではない事を深く感じ、その瞬間、これら全てが私の財産になった。

上京する前から祖父は身体を壊し、ベッドにいる時間が長くなった。会う度に小さくなって記憶も曖昧で。けれど、それでもいつもの優しい祖父だった。訃報の電話を受け取ったのは巣鴨のアパートで、母からの報告を受け自分でもびっくりする程泣いた。途中から話せなくなるほどに。私の中のじっちゃんってこんなに大きかったんだなと、感じた。北海道に到着し祖父に対面した時、また涙が出た。大人になってから身近な人を亡くしたのはそれが初めてだった。今まで実感はなかったが、年を重ねるという事は、その分大切な人の死を見送る場面に遭遇するのだ。胸がえぐられるような、こんなに悲しい気持ちを何度も味わうなんて酷だなと思ったけれど、それが生きるって事だよなって。いろんな気持ちを教えてくれたじっちゃん。怒られた記憶って無いかも。ニベアが大好きだけどニミヤって言って、カルピスの事をカルピーと言い、ヤクルトもヨーグルトもヤーグルトと言う。水溶き片栗粉に熱湯をかけてふわふわにして、砂糖をかけてお菓子にしてくれたり、酒が好きでいつもコップで飲んでいたり、かぼちゃのタネやコマイをストーブの前で干していたり、一緒に押し花を作ったり、その押し花を挟むのは植物、生物、いろんな種類の百科事典だったり、いつもストーブの前にいたり、入れ歯をわざと会話中に口から出して笑わせたり。ほんとうに全てが私の一部になり、財産だ。